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「家」資材を再生使用し歴史館を改修 恒久施設へ


目 次

歴史館外観写真
「家」資材を再生使用して歴史館を改修 恒久施設へ
 a)「家」資材を再生使用して改修
 b) 恒久施設としてリニューアル
 c) 建設実行委員会を改組し、2013年から運営団体に移行
 d) 経緯


原点の思いのこもった
木材をつかって歴史館を改修し、
「もうひとつの歴史」を伝え続ける恒久施設として
末永く運営していこうと考えています。

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a)「家」資材を再生使用して改修

 1991年に「天井板一枚でも残すことで、歴史に消える事実を伝えられないか」と始まったのが松代・朝鮮人「慰安婦」の家を残そう実行委員会でした。移築・復元はかないませんでしたが、保管してきた「家」資材を改修に再生使用し、事実に基づいて、なぜこの古い木材がこの歴史館に使われているのか、私たちの思いを伝えます。
 

b)恒久施設としてリニューアル

 年間10万人近い来訪者が象山地下壕を訪れ、その一部が近くにある歴史館に立ち寄っていきます。アジア太平洋戦争、朝鮮人労働者、慰安婦の事実について知識のない若い世代が増えてきています。「地下壕から学ぶ、もうひとつの歴史」を提示するビジターセンターの役割も担っていきます。現在の展示室を改修して展示を充実させ、松代大本営や地下壕工事に伴うさまざまな歴史を伝える施設として運営していきます。
 

c)建設実行委員会を改組し、2013年から運営団体に移行

 今回の改修をもって組織を改組し、「もうひとつの歴史館・松代」建設実行委員会から運営委員会へ移行します。会を発足させた時の私たちの思い、その呼びかけに応えて長年支援してくださった会員の皆さんの思いを反映させた歴史館にし、末永く運営していきます。
 

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d)経緯

 1991年8月、私たちはアジア太平洋戦争末期の一時期、松代大本営工事に伴い「慰安所」として使用された建物を、「歴史の証人」として残すために解体。復元して、歴史館とすることを目的に、その資材を保管し始めました。

  1995年8月、松代の象山地下壕入口近くに実行委員会有志で建設用地を購入。1996年4月、外観再現・内部一部復元の建設計画を提起しましたが、資金不足と地域住民の理解が得られない状況のなか、新規に建設する計画の着工は見送りとなりました。

 1998年2月、建設用地に元からあった建物を利用した展示室を、長野オリンピックにあわせてオープン。その後も開館を積み重ね、受付スタッフによる館内案内が行われ、改装等をおこなっていくなかで、2007年以降、3月~11月の週6日開館で運営したここ5年間は、展示室に年間約8千人が来訪。2012年で運営15年目を迎えます。

 現展示室は、委員会発足時の目標だった、「慰安所」として使用された建物を移築・復元して歴史館とする、という姿とは違う形ながら、今や実質的にマツシロの歴史を伝える場「もうひとつの歴史館・松代」の機能を果たすようになっています。

 こうした現状の中で、実行委員会では建物の資材をどのように活かしていくのか検討を続けてきました。2010年の総会では「復元から資材再生へ」という観点で、多様な資材再生案を提起し、会員の皆さんから忌憚のないご意見をいただきました。それ受けて2011年は連続ワークショップで原案検討作業を続け、2012年前半で、専門家も交えて方向性を検討してきました。

 その結果、「家」資材を再生使用して歴史館を改修し、恒久施設としてリニューアルオープンする計画が完成しました。私たちは、これを「もうひとつの歴史館・松代」建設の最終プランとして、2012年の総会で提起、そして2012年秋から改修工事に着手し、2013年春にリニューアルオープンしました。  

 これをもって、「もうひとつの歴史館・松代」建設を実行したとし、建設実行委員会を改組し、運営委員会に移行したいと考えています。
 

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