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「松代大本営」工事による地元の被害

土地の買い上げから建設へ

 1944年10月、約100人の地元住民の山林、桑畑、田畑が軍に買い上げられ、道路、続いて飯場が建設された

振動・騒音

 11月、地下壕工事が本格的に始まると、岩盤を砕くために使われたダイナマイトの爆破音が昼夜を問わず、松代一帯にとどろくようになった(発破(はっぱ))。ニワトリは卵を産まなくなり、人や家畜の眠りは妨げられた爆破によって吹き飛ばされた岩が屋根に降ってきたり、その振動で壁にひびが入った家もあった

急な立ちのき

 翌1945年4月、舞鶴山周辺の西条村(にしじょうむら;当時)の住民は、住んでいる家からの立ち退きを強いられた 工事の目的も告げられず、急な立ち退きを迫られた住民は、親戚、知人を頼って村内外へ移住した立ち退き地区に田畑を持つ者は、その入り口の「衛門」で門鑑(通行するための証明書)を見せなければ、耕作にも入ることができなかった

2003/1/19 Up →ロ地区立ち退きについての証言

注:1945年3月、東京大空襲などによって、天皇の東京からの避難が現実の課題として浮上するにあたり、松代大本営工事の重点は、政府の中枢機関を入れるイ地区(象山地下壕)から、天皇と皇后のための御座所と地下壕を建設するロ地区(舞鶴山地下壕)へと変わった。この天皇の御座所建設を隠すため、周辺の住民は強制立ち退きさせられることになった。

勤労報国隊に

 地元住民は、また、勤労報国隊として、工事での資材運びやトロッコ押しといった作業に従事させられた。そして、清野と西条の国民学校3、4年以上の児童も、上空の米軍機から工事が見つからないように、地下壕の掘削によって出た岩くずの上に、木の葉や枝を覆い被せるカモフラージュ作業をさせられた